幕山進学教室

室長日誌


塾教師志願
東京ではほとんど経験したことがないことの1つに公立教師志望者の塾への流入がある。講師の採用の際に「教職希望者か否か」を必ず尋ねる。このような質問は東京での採用では考えられなかった。しかし、地方では驚くほどこの「教師くずれ」が多い。教員採用試験合格までのつなぎとして考えることは非常勤講師については許されても専任講師の場合は認められない。採用試験の準備をしながら専任の激務をこなす・・・そんな甘い仕事ではない。
新卒で教育関連の仕事がしたいと塾教師を志望するケースがあるが、個人的には絶対にすすめたくない。私は新卒者との面接で必ずいったん普通の会社に就職し、社会人としての一般常識を身につけ、厳しさと組織の歯車としてのむなしさを経験してからでも遅くはないことを力説する。教育産業というのはいかに閉鎖的かつ非社会的な組織であるかを知っているからである。法人格を持っていようが上場していようが一般社会とはかけ離れた空間がそこにはある。塾しか知らないまま年を重ねた人間の多くが如何に偏向した考えを持っているかも知っている。「良き法律家は悪しき隣人」という言葉があるが、教職者についても言えると思う。公務員として公立校の教師になれば安定した収入と地方ではそれなりのステータスが得られる(ようである)。表現は不適当かも知れないが、重大な刑事事件でも起こさない限りしがみついていればその身分は定年まで保証される。しかし、塾や予備校に職を得て、生涯を教師として貫き通す(通せる)人間がどれほどいようか。様々なことを意欲的に吸収し、人間として社会人として成長すべき20代、30代を塾、予備校といった偏狭な世界で過ごしてしまっては一般社会では通用しにくい。教育産業に限ったことではないと思うが・・・。
東京ではほとんど全ての塾教師が様々な職業を経て教育産業に入ってくる。私の知るトップクラスの教師はすべてしっかりとした企業でのサラリーマン経験者だった。実社会での生きた体験に基づいた彼らの授業は圧倒的な生徒の支持を受けていた。こちらで出会った人物のほとんどが大学卒業と同時に塾で育った”純粋培養”された教師であることに驚いた。どの会社も新卒者には新入社員(初任者)研修を通して社会人としての心構えを教え込み、一線に出されてからは先輩や年長者に叱られ、場合によっては顧客にどなられながら仕事を覚え社会人として一人前になっていく。私は当初、本当に電話が恐ろしかった。仕事がわからないのに電話を取らされる。用件を聞き、電話を担当者にまわすだけなのにそれさえも満足に出来ない。電話が鳴るたびに胃が痛む・・・。上司は厳しく、業務の合間に一息入れてコーヒーを飲んでいるとそばにやってきて、
『おまえがそうやって一服入れてる間も、税金がおまえの給与に使われてるってわかってるか?』
悔しくて悔しくて、必死に業務を覚えそして働いた! コピー、お茶だし、発送文書の折り方(!)、名刺の受け渡しからお辞儀の仕方、会議書類のセットから印鑑の押し方、文書の起案・添削、帳簿のつけ方・・・・・・。わずか3年だったが、専門業務以外に多くのことを学び身につけさせてもらった。本当にありがたかったが、それが理解できたのはこちらに帰ってからである。東京の同僚教師は皆、共通の実社会体験を持ち苦しんだ経験があるのでお互いを理解しやすかった。しかし、この地では事情が違っていた。電話応対どころか頭を下げることも知らない人間の多いこと!
広島県公立高校の教職員組合が”破り年休”で叩かれているが、新聞を通して入ってくる組合側の言い分(主張?)はまさに一般社会とかけ離れた非常識が常識となっていることをうかがわせる。すっかりと感覚がマヒしてしまっているが本人達には全くわかっていないのであろう。背景として彼らが育ってきた”閉鎖社会”抜きには考えられない。民間の教育産業にも非常識はまかり通っている。こちらのある塾で、受験学年を担当している教師達が保護者からの謝礼(金銭、商品券を含む)の多さを競っていたが信じられなかった。
今回、このテーマを取り上げたのはHPを通して塾教師についての問い合わせや応募を受けることが多くなったこともある。こちらでは驚くほど塾を転々としている人間が多い。考えるに5年、10年と塾だけで育った人間は一般企業ではすでに働けない体となってしまっていることに気づき、それぞれが想う”理想”の塾を求めて渡り歩くのであろうか。そういえば、面接で自身の持つ教師としての理想を延々と語ってくれる人間ほど”現実”にくじけて早々と退場して行く。
新卒として初めて出会う企業は重要な意味を持つ。その人間のその後の社会人としての人間形成に計り知れない影響を与える。ヘタな塾にでも入ろうものなら得るものよりも得られないものがどれほど多いかも知って欲しい。塾と言うところは教師を育てるところではあっても”社会人”を育てられる環境ではないと言い切れる。回り道をしていいと思うし、それは絶対に必要なことだとも思う。挫折を多く重ねることは生徒と接する上で痛みや苦しみのわかる”理想的な教師”への近道であり、保護者の気持ちや願いを理解する上でも大切なことだと思う。様々な経験をもって幅のある人間として生徒や保護者と向き合える教師となって欲しい。
なぜひつこく繰り返すのか? それは私自身に経験すべき苦労が足りなかったからです!

(99/12/15)